久々講習とその余韻
週末、久々に講習会に行ってきました。
腰痛に関する話と手技の講習で、
私がとても尊敬する先生の話だったので、子どもは主人にお願いして出席させてもらいました。
治療の大きな指針は
心地よくなってもらうこと
ポジティブな時間にすること
ということを教えて頂いた先生です。
他にも言葉では説明できない大切なことやまだ解釈できていないことも含めて沢山教えて頂いています。
あ〜前向きで心地いい講習会だった〜
あんなにもポジティブな感情な場が他にあるだろうかと思う程で。
全員が先生のもとに向上を求めていて、ストイックの中にもユーモアがあって。
講義内容と同じかそれ以上に、
その空気に身を置くことに価値がある講習会でした。
なんの情報もない記事ですが、私のこの余韻だけでも伝わればいいなあと思います。
男女平等や女性として生きることについて考えていました。
最近は女性であること、女性として生きること、男女平等って...
そんなことを考えて過ごしていたのでした。
出会った本
自伝形式で、女性として一人の人間として自立して生きることについて、三浦さんの人生を通じて考えさせられる本でした。
本当に本との出会いは不思議で、自分が今必要な今出会うべき本に、誰かが出会わせてくれているようで。
こういう種類の本はいつもは読まないんですが私にとっては今読むべき本だった気がします。
学生の頃は男性と同じように全部出来る気になったりもしていたし、やっていたつもりでした。
同じようには生きられないんだと気付いたのは大人になってから。
今の時代は男女平等の世の中で。
先人たちが女性の権利を広げていったことはとても有難い事とおもっています。
でも本当の平等は可能なのでしょうか。
何をもって平等なのでしょうか。
“男女平等”の社会で女性が男性と同じように活躍するには、
男性と同じだけ頑張るのではなく、
女性として生きるこの身体をどう管理するか、どう日々を過ごすのかの方が大切なのではと思います。
女性はとくに、仕事の土台となる体や暮らしのことを考えずになにかを成し遂げることは難しいのではないでしょうか。
そんなことを考える最近なのでした。
保育園の申し込みももう少しで始まり、仕事復帰も見えてきたから考えちゃうのかな。
良いきっかけでした。
解剖学書を新調しました。
解剖の本を新調しました。
解剖の本をいろいろ考えたり考えなかったりしながら眺めるのがすきなのです。
ずっと学生の時の物を使っていて、
事あるごとに違う新しいものが欲しいと思い続けていましたがついに!
これがずっと欲しかった〜
全て写真で載っているのです。
写真と部位の名称が細かく載っている。
説明はほぼないけどそれがまた良い。
余計な情報がない分いろいろ考えが巡ります。
説明を読みたいときは他のやつで...
あとは当然ですがイラストの解剖学書よりリアルで複雑です。
シンプルが好まれる世の中ですが現実は複雑だということを実感。
複雑なものは複雑なまま見ておいた方が良いです。
そしてやっぱりイラストより重みがある気がします。
検体を解剖しているのは一緒なのですが。
ちょっぴり変な緊張感があります。
うれしいなあ〜
夜の楽しみができて嬉しいのです。
缶に入ったクッキー
甘いものはもともと好きなんですが、
いつ頃からか缶に入ったクッキーにとてつもない魅力を感じるようになりました。
開けたときの香りもわくわくする感じも、
あの前向きな迷いも
クッキー以外に詰まっているものがたくさん!
少しずつ食べるのがいいのです。
開けたり閉めたりしながら食べるのがいいのです。
これで終わりにしようと思ってたけど、もう一つだけ!
と、自分を甘やかすのもこの時ばかりは許すのです。
と、実家からもらったクッキー缶を眺めながら思うのでした。
調子が良いと調和が良いは違う
秋になると身体の調子がいいんです毎年。
水はけが良くなるような感覚で、
頭がすっきりして
体がかるくなって、
体重も実際に減って。
考え事もしやすくて勉強すると捗ります。
一方で眠りは浅くなります。
そしてその中の1日だけ何故かお腹が痛くなり、寒くなってきたところで体調を崩すといういつものパターン。
つまり、
調子がいい=調和がとれている
のではない!ということが分かってきました。
調子よく感じるからこそ秋は行き過ぎてしまうんですよね。
色々捗って好きなんですけどね。
体調悪ければ休もうかなあと思うけど、
調和のとれている状態を保つこつはまだ得ていないのです。
勉強〜
友人がぎっくり腰になったようで。
友人からぎっくり腰になったと連絡がありました。
学生時代からの親友で、県外に住んでいるけど月1から2回は会う、いちばん何でも話せる友人。
本当に頑張り屋さんで、器用な方ではないものの、気遣いができて持ち前のタフさで頑張っている人。
以前、一度体を触らせてもらったことがある。
首の骨から胸椎にかけて背骨が後ろに出たり前に出たり。筋肉は弓の弦のように張っていて、病院でみる患者さんよりもすごいと感じるほどでした。
普段の仕事の負担や、周囲への気遣いや、落ち込んだ気持ちや、名前もつかないようなやるせない気持ちや、
仕事大変でさ〜とか
上司がさ〜とか
話は聞いていたものの、その体を触って、たくさんのものを抱えていることが伝わってきてしまいました。
今回のぎっくり腰も、そういう”抱えているもの”がもうだめって出てきたんだと思います。
休みなよって言うけど
それが出来ればね〜って。
何か言ったりアドバイスしたりはできるけど、結局は本人次第で。
そこに結局無力さやもどかしさを感じるのです。
患者さんをみていてもそうで、結局本人の考え方や生活の上に成り立っているもので、それを変えるのは知識や技術があっても簡単ではなくて。
親しい友人でさえそんな感じなのです。
なにがゴールなんだろう...とか考えてしまいますね。
とりあえずはぎっくり腰の症状は寛解しているようなので...友人として口酸っぱく言って聞かせる事にします。
待つということ
育休中の今は専業主婦の生活ですが、
働いている時とくらべて「待つ」時間が多いです。
赤ちゃんがお腹空くのを待つ
赤ちゃんが眠くなるのを待つ
旦那の帰りを待つ
以前はそう思わなかったのに、友人からの返信もまだかな〜なんて
良し悪しの話ではなく、待つって他人主導だなあと感じます。
待っている時間を自分のために使っていても、待っている気持ちは常にどこかにあって。
今まで自分の仕事とか自分の興味あることをいちばんに、自分主導で動いてきた私にとっては良い勉強なのかもしれません。
待つを
自分勝手に期待してしまう時間にするか
相手のことを想う時間にするか
早くして〜なんて1日の中でたくさん思うんですけどね。
待つ時間をすてきに過ごせる人、尊敬しますね〜
わたしもそうありたいなあ。